【さくっと解説】日本のうつわの歴史|陶磁器についてと三大陶磁器とは?

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子どもから歴オタでした。どうもこんにちは、筆者( .@azusagut )です。

今回はみなさんが毎日触れ、使っているであろう、うつわについてです。

毎日に触れていても案外知らないことも多いはずです。この記事では、

  • そもそもうつわとは?
  • 日本のうつわの歴史
  • 日本の三大陶器

についてご紹介いたします。

うつわの背景を知れば、その土地、作り手も見えてきます。

それらに思いを馳せたりするのも楽しいですよ。

目次

そもそもうつわとは?

うつわとは、すなわち「陶磁器」。「焼き物」という言葉でも表現されますが、

「陶器」「磁器」「炻器(せっき)」の3種類に分類されます。

陶器

吸水性のある粘土を原料とし、素焼きののちに釉薬を施し、1100度ほどで焼かれます。

不透光性で、ヒビがあるなど、手作りならではのぬくもりが感じられるのが特徴です。

磁器

磁器との大きな違いは、原料にあります。

磁器は粘土ではなく、石を粉砕した陶石を主な原料とし、

陶器よりも高温の1300度ほどで焼かれたものです。

高度が高く、薄手で軽いのが特徴で、洋食器はほとんどが磁器です。

炻器

陶器と磁器の中間的なものでその原料、焼く温度もちょうど中間です。

釉薬を使用しないため、素材そのものを楽しむことができます。

これらの見分け方は指ではじいたとき、

鈍い音がすれば陶器。
金属を叩いたような高音がすれば磁器。
それら中間の音が炻器となります

陶器のほうが炻器より重いのでそちらもご参考ください。

ちょっと余談…

ボーンチャイナという言葉を目にしたことはありませんか?

よくティーカップなど、洋食器メーカーで見られる言葉ですが、

「ボーンチャイナ」とは、牛骨の入った透明性のある磁器を指します。

ちなみに、「China」は中国発祥である「磁器」という意味です。

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日本のうつわの歴史

日本では遡ること縄文時代より、土器が使われていましたが、

5世紀に朝鮮から須恵器、7世紀に唐から釉薬(うわぐすり)の技術が伝来しました。
これら出来事により日本の器文化が華開きました。

平安末期から鎌倉時代にかけて現代にも続く六古窯(ろっこよう)が誕生しました。

ちなみに、六古窯とは

越前瀬戸常滑(とこなめ)信楽(しがらき)丹波備前

を指します。

室町時代から安土桃山時代にかけては「茶の湯」が大きく発展、それに伴い各地において独自の焼き物が発展した時代です。

特にこの時期豊臣秀吉による朝鮮出兵の際、日本に連れてこられた

朝鮮の陶工が西日本各地で窯を開いたことにより、日本の陶器製造技術はより発展します。

茶器一つで国が買えるほどの価値があった時代。

それら作品は現代にも伝わっているので、ぜひご覧ください。
(この時代の茶器については『へうげもの』を読むと面白い!)

17世紀初頭、時は江戸時代。日本で初めて磁器の製造に成功します。この製造法は有田に始まり、

九谷(石川)瀬戸京都、砥部(愛媛)、会津

といった、全国に広がりました。手触りが滑らかな磁器は庶民にも大人気となりました。

明治時代に入り、政府が「殖産工業」政策を掲げ、

万国博覧会(パリ万博、ウィーン万博など)に陶磁器を出品、

それにより世界ではジャポニズムが広まり、欧米向けの貿易品も作成され始めました。

特に影響力を持ったのが京薩摩です!

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これら時代を経て、日本各地では様々な窯が存在するようになり、個人による活動も活発化しました。

特に、大正、昭和時代にかけて柳宗悦(やなぎむねよし)が起こした

民藝運動」により、「一般の民衆が日々の生活に必要とする品」に美を求め、

それらに作り手である職人たちの仕事の価値を認めていこう、といった動きが始まりました。

民藝運動に関してはコチラ

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評価を高めるきっかけとなったのです。

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日本の三大陶磁器

数ある窯の中でも、特に多大な影響力を持ち、与えたものを日本三大陶磁器と呼ばれており、

美濃焼、瀬戸焼、有田焼が日本の三大陶磁器と言われています。

美濃焼

1300年以上前から、須江焼に始まり、室町時代に瀬戸工人が移入したことにより瀬戸の技術が流入。

その後大きく発展を遂げることとなります。伝統工芸品に指定されているものが15種類もあり、

そのなかでも、「瀬戸黒」「黄瀬戸」「志野」「織部」の4種が代表的です。

特にこの「織部」というのは「美濃焼」とう言葉以上に浸透しており、

一口に「織部」とっても「総織部」「黒織部」など多種多様です。

江戸に入ってからは磁器の生産も始まり、現在では焼き物生産量トップを誇っています。

瀬戸焼

せともの」という名で親しまれる六古窯のひとつです。

鎌倉時代初期から日本で唯一釉薬をもちいた施釉陶器を作成。

室町時代において最大の窯場を誇ったが、戦火を逃れて工人が美濃に移ってしまいました。

その後徳川家の庇護を受け存続。

1807年、有田焼の技術を学んだ加藤民吉が瀬戸に磁器を広め、

再び瀬戸焼は勢いを取り戻し瀬戸の一大産業としてより大きく発展していきました。

有田焼

日本における磁器の基礎を作り、特にその絵付けは世界をも魅了した窯です。

有田焼の最大の特徴は絵付けであり、中国的な絵柄を藍一色で描いた「初期伊万里様式

乳白色の素地と余白を生かした絵画の様な作風で、数多くのヨーロッパ人を魅了した「柿右衛門様式

金彩を加え、豪華絢爛な「金襴手様式

他にも「鍋島様式」などといった、多くの様式で国内外の人を多く魅了し続けている窯です。

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まとめ

本記事では、「【さくっと解説】日本のうつわの歴史|陶磁器についてと三大陶磁器とは?」について書きました。

ここでお話ししたのはあくまでもさくっと、ですので

興味がある方はご自身で本を読んだり、博物館などへ行ってみてください。

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