丹波でぱっと思いつくのは栗でした。な筆者( .@azusagut )です。
さて、今回は六古窯の1つでもある、丹波焼についてです。
本記事では、丹波焼の
- 歴史
- 特徴
- 資料館・美術館
- 陶器市
について書きました。
他の焼き物については↓コチラから。
丹波焼の歴史
大雑把になってしまいますが、ピンが立っているあたりが立杭。
丹波焼は兵庫県篠山市今田立杭周辺で造られているやきものです。
古くは小野原荘が生産の中心であったため「小野原焼」と呼ばれていました。
丹波焼のおこり
丹波焼のはじまりは平安時代の末期だと考えられています。
このころはろくろは使用せず、「紐作り」で造った甕や壺が主流でした。
また、それらは釉薬を使用せず、山の斜面をくりぬいた「穴窯」で焼いていました。
紐作り…製法の一つ。ひも状にした粘土を積み上げて作る。
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この製法はなんと江戸時代まで続きました
発展の江戸、明治時代
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1592年、朝鮮から登り窯が伝えられ日本の陶器造りに大きな影響を与えます。
丹波焼はようやく江戸中期ごろから「穴窯」から「登り窯」にシフトチェンジ。
「釜屋」と呼ばれる山麓に登り窯が導入され、ほぼ同時期に蹴りろくろも始まりました。
これらにより、丹波焼の生産量は飛躍的に増え、釉薬を使用するようにもなりました。
焼かれるもの茶碗、水差や徳利など幅広くなりました。
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このころから「丹波焼」という名称に代わっています
明治時代には丹波焼の中心は「立杭」に移り、生産を続けます。
この時代は鉄道開通もあり、丹波焼の販路は九州地方まで伸びるようになります。
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立杭で焼かれていたので、「立杭焼」と呼ばれていました
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この時代は「丹波焼」とも「立杭焼」とも呼ばれていました
激動の昭和
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昭和になると戦争需要で軍需品の生産や、
日用陶器に生産が中心となりふたたび甕や壺といった大型のものが中心となって焼かれました。
戦後は再び茶碗などの小物に生産が移り変わり、これらやきものが現在の丹波焼の基盤をつくったと言えます。
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昭和時代には民藝運動での評価を受け、人気が出ました
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1958年のブリュッセル万国博覧会ではグランプリも受賞!
丹波焼は1978年、丹波焼と立杭焼を統一し「丹波立杭焼」の名称で伝統工芸品に指定されました。
丹波焼の特徴
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丹波焼の特徴は、自然釉を使うことにあります。特に「灰被り」と呼ばれる独特な模様と色が特徴的です。
丹波焼は窯の燃料には珍しい松を使います。
この松の灰と、土に含まれる鉄分や釉薬が溶け合って丹波焼は生まれます。
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同じ表情のやきものはできないため、「丹波の七化け」とも呼ばれています。
技法にも特徴的なものがあり、通常ろくろは右回りですが、丹波焼は左回りで造られています。
丹波焼の資料館・美術館
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丹波焼をより知りたい方はぜひこちらへ!
丹波焼の里
丹波焼を見る、学ぶ、作る、買うことができます。
資料館は見ごたえもあり、窯元訪問もできるのでより身近に感じられます。
丹波古陶館
平安から江戸末期まで作られた丹波焼が見られます。古丹波と呼ばれる古い丹波を見たいならコチラ!。
丹波焼の陶器市
丹波焼では春と秋に2度陶器祭りが開催されます。
春ものがたり
GW期間中開催。
丹波焼陶器まつり
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毎年10月ごろ開催。
まとめ
本記事では「【さくっと解説】同じものはない自然釉が生み出す丹波焼|歴史と特徴」について書きました。
名称も時代とともに変わり、作るものも大きく変わっていった丹波焼。
自然がうむ七化けをてにとって楽しんでみてください。
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