駅弁と言ったら「なごや満載」が好きです。どうも、筆者( .@azusagut )です。
突然ですが、駅弁はお好きですか?
その土地土地のグルメを味わえるたのしいものですが、うつわずきなら…
有田焼カレーが一番ではないでしょうか?
他にもコーヒーフィルターなどで人気も出たりしましたが、
有田焼は日本で初めて磁器をつくったことでも有名です。
今回は有田焼の
- 歴史
- 特徴
- 資料館・美術館
- 陶器市
についてさくっと解説していきます。
豪華絢爛なものから、民衆向けのうつわまで。
400年余りの有田焼の歴史、その特徴についてみていきましょう。
他のやきものについては↓コチラから。
有田焼の歴史
有田焼ってどこ?ということで、まずは地理から!
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佐賀県の有田町。とありますね。
黒字で囲った「伊万里(いまり)」と赤字で囲った「波佐見(はさみ)」も
あとで少し触れるので片隅に入れておいてくださいね。
実は割と最近?有田焼のおこり
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有田焼は日本における最初の磁器といわれています。
それなら歴史は長いと思いますが、
実は有田でやきものがはじめられたのは1616年(江戸時代ですね)ごろのことです。
豊臣秀吉の朝鮮出兵により連れてこられた陶工が、有田の泉山で良質な陶石を発見。
国内で生産ができないと思われていた磁器生産がはじまった瞬間です。
有田焼の大躍進
当時、世界的にも磁器といえば、中国の「景徳鎮(けいとくちん)」
抜群の品質を誇り、世界を魅了していたまさにキング・オブ・磁器。
しかしそんな景徳鎮も1664年の明王朝が清王朝に変わる内乱で輸出量が減ってしまったのです。
そこで景徳鎮に変わる磁器として有田焼に白羽の矢が立ちます。
40年代には国内の磁器市場をほぼ独占。
59年にはオランダへの輸出も始まるなど、その勢いはとどまるところを知りませんでした。
その中でも特に、
東洋の美と称された、「柿右衛門様式」金彩を施した「金蘭手様式」
はヨーロッパの人々を魅了してやまず、景徳鎮に代わる磁器としてその地位を確固たるものに!
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窯が開かれてから、わずか30~40年の出来事です。
落日の有田焼。国内向けへ
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しかしその栄華も1757年頃崩れ去ってしまいます。
景徳鎮の復活です。
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まさに王政復古
もともと景徳鎮の品質は十分認められていたこと、
流行りだった「金襴手様式」を中国でも取り入れ大量生産。
有田焼は価格競争で負けてしまい、海外輸出量は落ち込んで今いました。(品質は景徳鎮と遜色ないのですが、価格に勝てなかった)
これを機に高級品として成長をしていた有田焼は文様の簡略などをはかって、民衆向けにシフトチェンジ。
やがて江戸時代には民衆の欠かせない磁器として国内シェアを拡大していきました。
名声の明治、苦難の戦中。花の戦後
幕末は美濃や瀬戸の磁器生産に押され気味で不況もありましたが、
明治時代は薩摩藩と合同でパリ万博などに参加、有田焼は世界で再び評価を得るのです。
しかし、昭和時代は日本が不況に見舞われたため
安価な美濃焼、瀬戸焼に価格で負けてしまい、生産量も落ち込んでしまいます。
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また価格競争に負けてしまいました…
失業者も出てしまうなか、技術も残す努力がされ戦後は再び生産量、売り上げともに伸び、今日に至るのです。
そういえば「伊万里焼」と「有田焼」って何が違う?
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「伊万里焼」という言葉もよく聞き、「有田焼」と同じ?と思うかたもいるかも。
結論から言うと、別物です!
かつて有田で焼かれたうつわは、伊万里港から輸出されていたため、
「伊万里焼」という名で呼ばれていました。
ですが、1887年に有田に鉄道が開通したのを機に「有田焼」という呼び方が一般化しました。
現代では
有田で造られたものを「有田焼」
伊万里で造られたものを「伊万里焼」
と呼んで区別をしています。
ちなみに、江戸時代に作られた「有田焼」を「古伊万里」と呼んで区別をしています。
骨董品で見かけるものは「古伊万里」と書かれていると思いますよ。
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まとめて「伊万里・有田焼」とも言うそうです
有田焼の特徴
なんといっても「絵付け」が特徴です。ここでは有名な、
「柿右衛門様式」
「金襴手様式」
「鍋島文様」
について説明していきます。
柿右衛門様式
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「濁手(にごしで)」と呼ばれる、乳白色の素地を使い、余白を生かした色絵が特徴です。
乳白色によく合う赤が魅力的でうす。
ドイツのマイセンが生まれるきっかけにもなるほど、人気が高く、金襴手の台頭まで大きな人気を誇りました。
金襴手様式(古伊万里金欄手)
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赤と金を多用し、豪華絢爛な様式です。
高級志向の高まりに合わせて生まれ、国内の富裕層をはじめ海外の王族や貴族にも好まれました。
明治以降、蒐集家がこぞって集めたのがこの古伊万里金欄手だったそうです。
鍋島様式
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佐賀県鍋島藩の御用達窯で生まれたのが「鍋島様式」
藩の用品、諸大名の贈答品や、幕府の献上品が造られていました。
藩中の有名陶工を集めて造られたこの窯では、赤、黄、緑の三色と染付の青で描かれた気品高いものが多いです。
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陶器市もありますよ!
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![](https://www.azusayutaka.com/wp-content/uploads/2023/08/22cbc0da2ff309f86f477ff91aa95291-1-300x169.jpg)
有田焼の美術館
有田焼について知るなら、下記の2つがおすすめです。
有田陶磁美術館
明治時代を中心とし、昭和初期までの作品が多く見られます。
佐賀県立 九州陶磁文化館
![](https://saga-museum.jp/ceramic/common/img/apple-touch-icon.png)
![](https://saga-museum.jp/ceramic/common/img/apple-touch-icon.png)
九州各地の焼き物が展示された施設。当然有田焼も含まれており、専用ブースをあります。
有田焼の陶器市
有田焼は年に2回ほど開催されています。
有田陶器市
毎年GW期間に開催。
秋の有田陶磁器まつり
毎年11月の中旬から下旬にかけて開催。
おすすめ!有田焼
駅弁として生まれた。有田焼カレー。その誕生には相当の苦労があったようです。
有田焼のコーヒーフィルター。半永久的に使え、見た目もスタイリッシュ!
有田焼のカップ酒!
地酒も楽しめ、飲んだ後も使えるカップ。見た目もかわいらしくギフトにもおすすめです。
そば猪口も割と有名では?これからの時期、そうめんを食べるのにも使えますしもちろんお酒だってどんとこいです。
スッキリとしたデザインのマグカップです。まさに近代の民衆に寄り添った形の有田焼ですね。
有田焼のまとめ
本記事では「【さくっと解説】カレーやフィルターでも有名?有田焼の歴史と特徴」について書きました。
芸術品として評価も高い「金襴手様式」や「右衛門様式」、
それに対し簡略化をしつつ民衆に沿う形のうつわを生み出した有田焼。
うつわはつかってなんぼですが、お部屋に飾るのも、いいかもしれませんね。
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